2017.8.19
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焦らなくていい・・・。
猛烈に時の流れが早い・・・。 このまま人生が終わってしまいそうである。 焦らなくていい・・・。 何度でも、歩き出せばいいのだ・・・。 |
レジェンド過ぎる・・・。
遅ればせながら、「ALL ABOUT マイコンBASICマガジン 2015」のダイジェスト動画を見た。 企画・司会進行は、ゲームライターの先駆け、山下章先生。 初めてお顔を拝見する懐かしいライターの方も多かった。 ステージでRX-78のプログラムを打ち込む、断空我さんが面白かったなぁ〜。 ロードせずに打ち込むとは、憎い演出・・・。 画像は、元編集部員の編さん(左)と影さん(見切れているのは、くりひろし先生) お二方とも、なんて優しいお顔立ち・・・。 誠実に、人のために生きて来られた積み重ねが、滲み出ている・・・。 わたくし、中1の時に、編集部に電話したことがあったんです。 「ファミリーベーシックのプログラムを打ち込んだんですけど、エラーが出るんです」と・・・。 「多分、打ち込みミスだから、見直してみて」と、その編集部の方は、言わなかった・・・。 エラーが出る状況を聞いて、何分も電話の向こうで考えてくださった・・・。 その間、もう1人、助言をするような、別の男性の声が聞こえていた。 確かめはしなかったが、編さんと影さんだったに違いない・・・。 編さん、影さん、ありがとう・・・。 保管している20年分のベーマガ、全240冊の全ページをめくってみた・・・。 ・・・相当、掛かった(笑) 思い入れがあるのは、高校までの90年までだなぁ・・・。 マシン語、デカキャラ、瞬間表示、アーケード神話、POLISH PILLAR×2、etc.・・・。 30年前に夢中になったものに、今も夢中になれるというのは、幸せな話である・・・。 最近は、レトロアドベンチャー研究と、シナリオねるねるねるねな日々・・・。 ゲームを本気で作るのは実に2年振り。 ベーマガのBASICリストの見過ぎで、C言語忘れちゃったよ〜。 2016年が暮れて行く・・・。 皆様、よいお年を。 |
そして、旅立ち・・・。
東京へふらりと旅に出た。 初めて、電波ビルの前を歩いた。 マイコンBASICマガジンの展示室などある訳もなく・・・それでも歩きたかった・・・。 編さんや影さん、山下章氏が歩いたであろう、その道を歩きたかった・・・。 80年代、全国のマイコン少年の夢が、ここに送られて来たのだ。 もちろん、僕のプログラムが入ったカセットテープも・・・。 初めて掲載された時の嬉しさは、今でも忘れない・・・。 頂いた原稿料は、生まれて初めて稼いだお金となった・・・。 秋葉原も初めてだったので、立ち寄った。 秋葉原の同人ショップには、有限会社時代のタイトルも含めると、全部で6タイトル取り扱ってもらっている。 「トワイライトハウス」を取り扱ってもらっているお店を見つけて入ろうとしたが、 オタク・フォース・フィールドのバリアーが強力で、近寄ることができなかった・・・。 秋葉原でレトロゲームは売れるかもしれないが、その需要はごく一部だと実感した・・・。 秋葉原・・・なんともカオスな街であった・・・。 遅くなってしまったが、レトロアドベンチャーの開発を開始。 開発費の関係で、大作とはいかないが、短編でもいいから作りたい。 |
懐かし自販機チャンネル
1年振りに、懐かし自販機チャンネルを見る。コチラ お店に向かう道中から始まるのがよい♪ 相変わらず、うまそう〜。 この「良さ」は40オーバーでないと分からないかも。 「ソンソン」や「スパルタンX」のサウンドが聴こえてきそうである。 自販機を設置していたゲーセンは多かったのだ。 僕も車で自販機巡りの旅に出たいなぁ。 魚谷さん、コレ、仕事になっちゃってるなぁ・・・。 羨ましいなぁ・・・。 僕も好きなレトロアドベンチャーを作って、細々と暮らしたいなぁ〜。 |
「UFOの正体」 荒井欣一監修
懐かしいモノが好きである。 単に古ければよいのではなく、思い入れや思い出が必要。 現在の意識のまま、過去の意識を呼び覚ます・・・一種のタイムトラベルと言ってもいい。 この本、幼稚園くらいの時に、持ってました。 ヤフオクで見掛けて、買っちゃいました。 描き込まれたイラストや写真、図解が盛りだくさんで、充実の内容・・・。 昭和49年初刷で、この本は第7刷か、UFOブームに乗って相当売れた本ですな。 文章は幼稚園児には流石に難しく、絵と写真ばかり見てましたが(笑) 内容は今読んでもかなり正確。 UFOと宇宙人の情報を公開する動きが世界的に起こりつつある・・・と言われて早25年・・・。 恐らくは、様々な科学の段階の宇宙人が太古の昔から、来訪していると思われる。 地球側から見れば、宗教やエネルギー問題が大き過ぎて、情報公開を躊躇するのも分かる・・・。 |
2016.5.18
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「正気の沙汰とは思えんなぁ〜」 BY 班長
疲れて横になっている間に、Windows 10のアップグレードが始まっていた・・・。 時既に遅し・・・。 告知ポップアップの設定をよく見ておくべきだった・・・。 しかし、ワンクリックもしていないのに、OSの自動アップグレードって・・・、正気の沙汰とは思えんなぁ〜・・・。 7に戻すことも考えたが、中途半端に失敗しても嫌なので、使ってみることに。 細かい挙動は、7よりいいなぁ。 使っていたソフト、周辺機器も問題なく使えた。 結果オーライということにしとこう。 |
200ラインに恋して30年
200ラインの絵は、実にいい。 200ラインというのは、640×200ドットのことである。 4:3の画面の中に、640×200ドット・・・縦長のドットなのである。 本当は、640×400ドットにしたかったのだが、当時の8ビットマシンでは、扱えるメモリ空間の制限から、200ラインにせざるを得なかった。 320×200ドットにすれば、ドットは正方形に近付くが、表示できる文字数が少なくなり、ビジネス機としては使えない。 縦方向の解像度を犠牲にしたのである。 この、タイリングペイントが生み出す境界線付近のギザギザ感・・・たまらんなぁ・・・。 200ラインの絵を見ていると、BASICを打ち込んでいた、中学時代を思い出す・・・。 方眼紙に色鉛筆でドット絵を描き、古代祐三のMMLを打ち込んでいたあの頃・・・。 体の変化・・・心の変化・・・なんかこう、どうにもできないあのモヤモヤ感・・・。 中高時代に夢中になったものは一生の宝、と言われるが、僕の場合、パソコン文化、ゲームプログラミングだった・・・。 今年は、作ろう、アドベンチャーを・・・。 もちろん、200ラインで。 ・・・30年、随分先送りにしたものだ。 |
BEEP専売 バーミンウォーズ(4)
印刷所から「バーミンウォーズ」の納品を受ける。 今のインクジェットは、ここまでできるのか。綺麗な仕上がりに満足。 早速、BEEPさんに製品見本を1部送付。曲を書いて頂いた、keigoさんにも進呈させて頂いた。 PCソフトの場合、「パッケージ」は文字通り、中身のデジタルデータを受け渡すための媒体に過ぎない。 コンシューマゲームですら、ダウンロード販売のみというタイトルもある。 ではなぜ、わざわざパッケージを作るのか。 「手に触れる」ものにしか価値を見出せない人のためというのもあると思うが、最大の理由は「お店」にあると思う。 店側も作りたい空間がある、ユーザーも通いたい空間がある、ひとつの文化なのだ。 同人は特にこの傾向が強い。 パッケージ販売は今後もなくなることはないだろう。 |
〜俺を信じてコレを懐かしめ!〜 「THE 功夫」 (HUDSON/1987)
PCエンジンのローンチタイトル「THE 功夫」 「源平討魔伝」を意識したようなデカキャラと、「スパルタンX」を意識したような横スクロールアクション。 カンフーアクションというよりは、ケルナグールなタイミングゲー。 ザコ敵がなぜか占い師のようなキャラ一種類のみ・・・。 決してサンプルゲームではない。 本能的に、中3の僕は「ビックリマンワールド」を買った。 |
「ズルポコ大作戦」に霊界を見た!
ベーマガ投稿常連(だったかな?)Random田村氏作「ズルポコ大作戦'88」の動画を鑑賞。 設定が堪らない・・・。 絵の味わいが堪らない・・・。 単音のBGMが堪らない・・・。 ダメだ、好き過ぎる・・・。 僕も、中高時代、ベーマガには5回程、掲載してもらったが、こんな面白いゲームは作れなかった・・・。 ちょっとズレているが、いつかやってみたい「バカゲー」に近いものがある・・・。 Random田村は天才だった・・・。 |
「真説サムライスピリッツ武士道烈伝」の思い出
テレビのアナログ放送終了から一切テレビは見なくなったアタクシだが(それまでもドキュメントぐらいしか見なかった)、 今は、YouTubeがテレビ代わりである。 YouTube(に限らないが)というのは、実に恐るべしサイトである。 幼少期に見た、こわ〜い吸血鬼のアニメを、地球の裏側の人がアップしてたりする。 もちろん、DVD化されていないし、入手できたとしても、レーザーディスクである。 ただ、視聴済の動画を判断するのが、しんどい。 また、人の動画に広告をつけてアップしている人が多いので、これも今後何とかして欲しい。 おっと、侍RPGの話である。 関連動画にサムネが出て来たので、ついついクリック。 ネオジオCD版で、外人さん実況の、2時間くらいの動画であった。 「真説サムライスピリッツ武士道烈伝」(音読は息切れる)は、僕のSNKでの最後の仕事である。 プロジェクトに参加したのは、1996年の10月くらいだったと記憶している(もう、20年になるのか・・・) 担当したのは、バトルシーンでの、キャラクターの必殺技の制作。 誰もが、好きなキャラを使って、「化物退治」がしたいのである。 相当、重要なパートである。 参加した時点で、プロジェクト発足から既に2年が経過していたのだが、バトルシーンは「空っぽ」であった・・・。 先輩の、O氏、S氏と全キャラクターを3等分して、担当を割り振り。 このゲーム、ロープレだけあって、敵キャラクターがメチャクチャ多かった・・・。 昔のドラクエのように、一枚絵を表示するだけでなく、それぞれが固有の技を繰り出すので、動きを一つ一つ作っていくしかないのである。 担当したキャラ数は、数百だったと思う・・・。 それぞれが複数の技を持つので、制作した必殺技の動きは1000近かったかもしれない・・・。 9ヶ月間、毎月100時間近い残業をし、延々とキャラクターの動きを作っていた・・・。 マスターアップ、1ヶ月前には、先輩2人もプロジェクトを離れ、一人でバトルシーン動き周りのデバッグと微調整を行った・・・。 その頃、恐らく外注と思われる、サターン版、プレステ版のスタッフの出入りをチラホラ見掛ける。 68000のアセンブラソースを、Cに置き換える地道な移植作業をやってたんだろうなぁ・・・。 わずか数ヶ月間で作り上げてしまうとは、あの人達も職人だなぁ・・・。 RPGとしての出来は、ここでは敢えて書かないが、一級品のドット絵とサウンドに味付けされた「お話」は充分に楽しめるのではないだろうか。 アニメアニメしたセリフは、相当に「寒い」ですがね(笑) サムスピは、「I」の空気感が一番カッコいいんだがなぁ・・・なんでこうなってしまうんだろう(笑) 3年の制作期間を経て、1997年6月27日、3機種同時発売。 ネオジオCD版は、ファミ通の初回集計のみで、2万本以上を売り上げていた。 みんな、よく頑張ったなぁ〜(涙) ちなみに僕の担当した主人公キャラは、ガルフォードと牙神幻十郎、ラスボスも作らせてもらいました。 |
BEEP専売 バーミンウォーズ(2)
完成した、BEEP専売「バーミンウォーズ」を、BEEPの小林社長にお送りする。 自分の作品を認めて貰えるというのは、大変に嬉しいことである。 「バーミンウォーズ」って、今年初めのリリースだったのねん。 そう考えると、一年て、それなりに長いなぁ・・・。 でも、ふと気づくと、20年、30年経っているのが年月というもの・・・。 80年の人生など、一夜の夢のようなものかもしれない・・・。 CDレーベルのデザインを発注。 1月半ばには、BEEP店頭に並びます。 試遊台も設置頂けるとのこと・・・楽しみ、楽しみ。 2015年が暮れて行く・・・。 来年は、ラインペイントアドベンチャー、作りたいなぁ・・・。 |
BEEP専売 バーミンウォーズ
keigo氏の曲は、一発OKであった。 う〜む、さすが職人・・・。 次は、CD盤面のデザインである。 ロゴの感じは、コレだな、学研のLSIゲーム版。 ファミコンが出る前、クリスマス・正月が近づくと、LSIゲームやゲームウォッチのカタログを眺めてたなぁ・・・。 あのワクワク感、もう味わうことはないかもしれない・・・。 |
裏バーミンウォーズ(2)
BEEPさんに仲介頂いたサウンドクリエイター、keigoさんから早くも曲が上がってきた。 オリジナル曲とはまた違う熱い曲で、採用させて頂くことに。 残りジングル1曲納品後に、ギャランティをお支払いさせて頂きます。 バーミンを最初からMAXスピードで動かしてみた・・・いや〜難しいですな・・・。 理論上はクリア可能だが、1000回に1回クリアできたらいい方かも。 |
裏バーミンウォーズ
「トワイライトハウス」のパッケージ版を入荷頂いているBEEPさんから、 追加発注と、「バーミンウォーズ」の簡易パッケージ版をうちで売ってみませんか、というありがたいお話を頂いた。 「バーミンウォーズ」は現在のダウンロード版に特典要素を加え、「BEEP専売」を希望とのこと。 いいですねぇ、その手作り感、やらせて頂きますよ。 特典要素として、 ・チップチューンの曲を1セット追加し、選択できるようにする。 ・バーミンがスタート時点からMAXスピードで動く裏モードを入れる。 等々、思案中。 BEEPさんは、主に80年代の懐かしいゲーム、パソコン関連商品の買取販売をされている、マニア垂涎のお店である。 |
ラインペイント型コマンド入力式アドベンチャーゲーム
「トワイライトハウス」のコマンド処理を移植。 後はシナリオとグラフィックを盛り込めば、アドベンチャーゲームの出来上がりであ〜る。 と言っても、そう簡単ではないのである。 売り物になるゲームを、一本きっちり作り上げるというのは、めちゃんこ難しく、苦しいのである。 ま、その苦しさが、楽しいのだけれど、ね。 自分のゲームを一人でも多くの人にプレイしてもらうには、フリーで配布するのがいいに決まっている。 でも僕はゲーム開発を、「仕事」としてやっていきたいのである。 世の作家やミュージシャンが作品をフリーで配布しない理由と同じである。 疲れてしまうから、本業としてはやらない。 というか、これだけデジタルコンテンツが「タダ」で入手できる時代、まず無理である。 選択肢が、「フィールドコンバット」か「バンゲリングベイ」しかない時代とは違うのである。 だから、「副業」というスタンスがちょうどよい。 グラフィックとサウンドの外注費が回収できれば、それでよいのである。 「面白かった」・・・どこかの掲示板で書き込まれた感想が、最高の報酬である。 |
今日の一冊 「Oh!FM 1991年8月号」
1991年の8月というと、専門学校の1年だった。 学校の近くの大阪の学生寮で暮らし始めて、4ヶ月程経っていた。 専門学校を選んだ理由は、とにかく早くゲーム業界で働きたかったからだった。 ゲームのプログラムというのは独学でもやれるのは確かだが、当時、ようやくMS-DOSが普及し始めた時代、 高校卒業時点からPC-98かX68000を入手し、即戦力のレベルまで自力で到達するには、2年は掛かる・・・。 それに、やはり当時は、アーケードマシンに対する憧れが強かったので、ソフトハウスよりも、大手のゲームメーカーを希望していた。 就職浪人のフリーターよりも学生の方が有利、そんな計算もあった。 家で課題作成のためのパソコンが欲しかった。 学校のマシンは、PC-9801RA・・・。 当時のビジネスマシンとしては妥当だったが、自分はゲームプログラマー志望・・・。 ハイパーメディアパソコン「FM-TOWNS」が出た。 日本橋で買った。 50数万の2年ローンだった。 汗と油にまみれたマックのバイト代は全てローンに消えた(涙) ・・・あれから24年か・・・。 お世話になった寮長夫妻も、もう霊界の村に帰られたことだろう・・・。 学校とバイト、それが全ての2年間だった。 直径数キロの狭い範囲だったけど、いつかまたあの町を歩いてみたい。 |
ダフ屋のオッサン、描いてみた(2)
毎日、アクセス解析を見ているが、うちのページにしては、珍しく連日、新規訪問者が多い(と言っても大した数ではないが) ひょっとして、ラインペイントのコマンド入力式アドベンチャーの新作を楽しみにしてくれている、オールドゲーマーに注目されているのでは? などと、勘違いを楽しんでおります。 いや〜、本当に、今時、こんなゲーム作ってるの、日本で僕だけかもしれんなぁ〜(笑) 絵のキャンバスカラーを任意に設定できるようにした。 また、輪郭線の色を途中で変更できるようにも。 「デゼニワールド」は、キャンバスが「青」なんだよなぁ〜。 白だと、毎回、目が痛いし、う〜ん、青というのも分かるなぁ〜。 青キャンバスに白で、ダフ屋のオッサンを描いてみた。 MSX版みたいだが、色が逆か。 |
ダフ屋のオッサン、描いてみた
ラインペイント方式アドベンチャー用のシステムを開発中。 最大の特徴は、「絵を描くスピード」を任意に設定できるところ。 プレイヤーがゲーム中に、変更できる。 パピコンか?と思わせる速度から、瞬間表示まで可能。 ペイントルーチンは、「スキャンライン・シード・フィル アルゴリズム」を実装。 単純ながら、なかなかよく出来たアルゴリズムですな。 ペイントルーチンなんて書いたのは、学生時代以来だす。 塗り潰されて行く様を眺めるのは、楽しいですな〜。 画像は、PC-8801版の「デゼニランド」に登場する、ダフ屋のオッサンである。 元々が200ラインの絵のため、縦方向の1ドットは、2ドットを費やしている。 たったこれだけのラインデータだが、入力するのに、めちゃんこ時間が掛かった。 入力支援ツールを作らないといけないな。 |
マイコンとの出会い
小5の頃だから、もう32年も前になる。 本屋に行く父親について行って、この本を買ってもらった。 本に載っているマイコンを見て、その格好良さに、心躍るものを感じた。 「SF漫画みたいだ」 世の中に、マイコンが登場してから、4年程経っていたが、周囲で持っている人はいなかった。 高価だったこと、まだ実用性に乏しかったことなどが、普及していなかった理由と思われる。 この頃のパソコンは、スタンドアロンROM-BASICと言って、電源を入れるといきなり真っ暗な画面にカーソルが点滅した。 インタプリタBASIC、入力待ちというやつである。 モードを切り替えて、マシン語を入力することもできた。 OSなどは存在しなかった。 後に出た、DISK-BASICは、簡易OSと呼んでもいいだろう。 この本は、何度読んだか分からない。 カタログのように、読んでいた。 ようやく近所の家電量販店にマイコンコーナーが現れ始め、この本を持ってゲームのプログラムを打ち込みに行っていた。 BASIC(プログラム言語)には、機種ごとに「方言」があった。 シンタックス・エラー、イリーガル・ファンクション・コールの洗礼を受けた(笑) ちなみにマイコンとは「マイクロコンピュータ」の略だが、「私のコンピュータ」という意味でも使われていた。 小5から始めた「マイコン貯金」、マイコンを手に入れたのは、その2年後であった(中古のPC-8001mk2SR) |
2015.9.9
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ゲームプログラマー初仕事
毎年9月9日になると、ネオジオCDの発売日を思い出す・・・。 1994年9月9日、ネオジオCDが発売された。 入社2年目の僕の仕事は、ROMカセット版のプログラムに改変を加え、CD版を開発することであった。 PC-9801を用いてマスターROMからデータを吸い出し、マッキントッシュでCDを焼いた。 今のように、手軽にCDを焼ける時代ではなかった。 プログラムの改変は、CPU68000のコードを逆アセンブルし、入出力のアドレスから該当箇所を探って進めて行った。 古い開発環境で開発されたゲームは、ソースプログラムからコードを再出力させることができなかったからである。 先輩数人と数十タイトルのCD版を開発し、僕は7タイトルを担当した。 2月から8月の東京おもちゃショーあたりまで、約半年の仕事であった。 ネオジオCDフロントローディングタイプは、限定3万台が完売した。 ちなみに1994年末に、次世代ハードの「黒船」が襲来。 ポリゴンで出遅れたSNKは、独自の路線を模索しつつ、苦境に追い込まれて行く・・・。 嗚呼、懐かしき青春の日々・・・。 また語ります、SNKとネオジオ・・・。 |
2015.9.8
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G哀歌
Gが嫌いである。 あのフォルム、色、速さ、生態・・・世の中で、ヤツ程、気持ち悪いものはない・・・。 と思ってしまう僕は修行が足りないのだろうか・・・。 今年は屋外で、5匹程度、遭遇・・・初代タイガー佐山並みの軽やかなステップでかわした・・・。 住んで来た部屋の機密性が高かったのか、独立して23年間、ヤツの侵入は許していない。 このまま屋内でヤツとエンカウントすることなく、生涯を終えたいものである。 そこら辺の哀しみを込めて、「バーミンウォーズ」を制作しました。 大変、お求め易い価格ですので、是非。 |
嗚呼、ラインペイント方式アドベンチャーゲーム
かつて、「ラインペイント方式」のアドベンチャーゲームがあった。 全盛期は、30年くらい前になるだろうか。 「ラインペイント方式」というのは、絵のデータをビットマップで持たず、輪郭を構成する線分データと塗り潰しの指定データで絵を作り上げる方式である。 「塗り絵」のようなものである。 なぜそんな絵の描き方をしたかというと、テープ版の場合、たとえ圧縮してもビットマップで絵を持つことは物理的に不可能だった。 同じ機種でありながら、メディアの違いで絵の描き方を変える訳にもいかなかったのだろう。 が、この「絵の出来上がる様」は、見ていて何とも言えない「味わい」があるのである。 一種の、「避けようのないワイプ」とでも言おうか。 パッと次の場面を一瞬で見せられるより断然いいのだ。 メーカーも、ユーザーも、「遅いけど、これって、なんかいいよね?」誰もがそう思っていたのではないか? 何度も見た場面を毎回数十秒掛けて描かれるのは、そこそこ閉口だが。 80年代後半、パソコンの高機能化(それでも現在から見ると貧弱だが)に伴い、ラインペイント方式は姿を消した。 画像は、ラインペイント方式の代表格と言ってもよい、ハドソンの「デゼニランド(PC-8801版)」である。 ドット単位に原色の8色しか発色できないため(それがいいのだが)異なる色を交互に並べることで中間色を表現した。 輪郭データの量も制限があったのであろう、デザイナーの苦労が偲ばれる。 YouTubeで「デゼニランド」で検索して、ご覧頂きたい。 僕は残りの人生の課題の一つに、ラインペイント方式アドベンチャーの制作を決めた。 現在、フリーソフトの習作を制作しているので、かつて熱中した方、是非。 |
2015.8.6
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夏の風物詩
甲子園が開幕した。 応援のブラスバンド、歓声、ウグイス嬢のアナウンス、実況・解説の音声、金属バットが球を弾き返す音・・・、 それら「甲子園サウンド」を聴くと、今年も夏が来たと実感する。 映像は要らない。radikoで聴きながら仕事をする。 白球を追う球児が羨ましい。これ程、青春を体現した姿もない。 母校は県大会3回戦で敗退か。でも凄いな。 来年また頑張れ。 オッサンも自分の目標に向かって頑張っている。 夢や目標は、なかなか叶わない方が、追い掛け甲斐があるというものである。 |
2015.8.3
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悲しき利権
利権と聞いてまず思い浮かぶのは、「石油」である。 周知の事実だが、この利権がなければ、既に車は無害な「水・海水・空気」等で走っていることだろう。 革新的な発明は弾圧を受け、何人もの発明家が殺されたり、廃人にされた。 これが地球人の限界なのか。 あたしゃ、地球はもうコリゴリだよ。 来生があるなら、精神レベルの進化した、金星かプレアデスに生まれたいものである。 それじゃ、修行にならないか。 「うばい合えば足らぬ わけ合えばあまる」(相田みつを) 「偉くなくとも 正しく生きる」(エンペラー吉田) |
2015.7.25
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自殺を憂う
自殺が多い。 毎年3万人近くが自ら命を絶っているが、これは警察が自殺と断定した数であって、変死・行方不明を含めるとその数は18万前後にもなるという。 とんでもない数である。 自殺というのは、霊界に戻れたとしても、厳しい罰が待っている。 それは、自身が決めた修行を勝手に放棄したからだ。 もちろん、それぞれの状況に応じた情状酌量はあるが、長期間、後悔の時を過ごすことになる。 多くの人が言っているように、この世は人のために奉仕する修行の場、なのだ。 全ての人がそれに目覚めれば、犯罪も戦争も自殺もなくなる。 そして、何か夢中になれるものを1つでもいいから持とう(良いことで) その「良い執着」は、生きるエネルギーを生む。 尚、僕は霊界は研究するが、宗教とは無縁である。 |
2015.7.10
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時の流れが早い
年と共に、時の流れは加速すると言われるが、後何年、プログラムが書けるだろうかと、ふと思う。 ハタチの頃と比べると、集中力やヒラメキは、確実に衰えているだろうが、その実感は余りない。 60代半ばくらいまでなら書けるかな? とすれば、後20年程か。 まだまだ作りたいゲームもあるし、勉強したいジャンルもある。 時間はまだ充分にある。 |